仙台高等裁判所 昭和37年(ネ)53号 判決 1965年8月30日
控訴人 栄物産株式会社
訴訟代理人 大川修造
被控訴人 株式会社振興相互銀行
訴訟代理人 三島保
主文
原判決を左のとおり変更する。
被控訴人は控訴人に対し金四九万六、二一五円及びこれに対する昭和三四年三月八日以降その支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審共全部被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金四九万六、九三四円及びこれに対する昭和三四年三月八日以降その支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審共全部被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」旨の判決を求めた。
控訴代理人が本訴請求原因並びに被控訴人の抗弁に対する答弁及び再抗弁として主張したところはつぎのとおりである。
一、(請求原因)
(一) 預金返還請求
(イ) 被控訴人(以下被控訴銀行と称する。)は控訴人(以下控訴会社と称する。)の取引銀行であるところ、
(A) 控訴会社は昭和二九年一〇月二日被控訴銀行荒町支店長小川雄一との間で左記約束手形一通を、同日から支払期日までの利息を金一〇〇円につき日歩三銭五厘の利率(その利息額を計算すれば全一、四四〇円となる。)で割引き、この割引金を被控訴銀行荒町支店の控訴会社普通預金口座に入金する約定で裏書交付した。被控訴銀行は右手形の交付を受け、その支払期日には右手形金の支払を受けておりながら控訴会社の右預金返還の請求に応じない。
額面 金一七万一、三七四円
支払期日 昭和二九年一〇月二五日
支払地、振出地 仙台市
支払場所 株式会社七十七銀行名掛丁支店
振出日 昭和二九年九月二〇日
振出人 マルカン本店
受取人 第一裏書人マルマ製菓株式会社
第二裏書人 控訴会社
(B) 更に、控訴会社は被控訴銀行荒町支店長小川雄一に対し同支店の控訴会社普通預金口座に入金する約定で、
(1) 昭和二九年九月一六目、金額一〇万円、振出人控訴会社、支払人株式会社七十七銀行東一番丁支店とした小切手を、
(2) 同月一七日、金額一〇万円、振出人支払人とも右に同じ小切手を、
(3) 同月二七日、金額六万七、〇〇〇円、振出人、支払人とも右に同じ小切手を、
(4) 同日、金額二万円、支払人、振出人とも右に同じ小切手を、
(5) 同月三〇日、金額四万円、振出人、支払人とも右に同じ小切手を、それぞれ交付した。
ところで、右各小切手の交付に際しては各小切手金額の全額を右普通預金に組入れ、被控訴銀行においてその小切手金の支払を受けることが出来なかつた場合にはその小切手金額を右預金残高から差引くとの約定であつたにも拘らず、同銀行はこれを右預金口座に組入れることをせず、控訴会社の預金返還請求に応じない。
(C) よつて、右(A)(B)の預金合計額金四九万六、九三四円とこれに対する本件訴状送達の翌日たる昭和三四年三月八日以降右支払済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
なお、乙銀行の預金者が同銀行の預金口座に組入れるために甲銀行を支払人とする小切手を振出しこれを乙銀行に交付していわゆる預金の組替をする場合には、当該小切手が乙銀行に交付されたときに直ちに預金関係が成立すると解すべきである。
(ロ) 仮に、右(A)(B)の事実のあつた当時前記小川雄一が既に前記支店長の地位になく従つて被控訴銀行の代理権限を有していなかつたとしても、民法第一一二条の規定により、被控訴銀行はこの代理権の消滅をもつて控訴会社に対抗することができない。
即ち被控訴銀行は右小川雄一が右支店の支店長であつたのは昭和二七年六月一日から昭和二九年九月一五日までであつて前記(A)、(B)の事実のあつた当時には右支店長の地位にはなかつたと主張するのであるが、それが事実であるとしても控訴会社は全くそのことを知らなかつたのである。同人は右支店長に在職中職務上の不正を行いこれが被控訴銀行に探知され、昭和二九年一〇月一〇日頃被控訴銀行から本店に来て勤務するように命ぜられたが本店には出勤しないでそのまま前記荒町支店において勤務しており、同年一一月一四日逮捕されて拘留中に懲戒解雇の辞令が渡されたのであるが、被控訴銀行では小川雄一に不正行為のあることが世間に伝わることを極力おそれこれをひたかくしにかくしていたもので、被控訴銀行の主張するような人事異動は新聞に報ぜられたこともなく、控訴会社に通知されたこともなく、控訴会社としては知る由もない所であつた。そして前記(A)の約束手形と(B)の(1) (2) の切手は被控訴銀行の前記荒町支店の支店長の席で控訴会社の代表者北山儀男が同支店の支店長として行動する小川雄一に対して約定交付したものであり、前記(B)の(3) (4) (5) の小切手は控訴会社の事務所において右小川雄一との間に約定交付したものと思われるがこの場合も同人は右支店の支店長として行動していたのである。従つてこのような状況の下において小川雄一が依然として右支店の支店長であると信用するのは当然でありそこに何等の過失はないのである。
なお、被控訴銀行では従来その支店の店員若しくは支店長自らが顧客の事務所、住所に預金の勧誘に出向いたりその場で預金契約をすることもあり、控訴会社においても従来そのような方法で前記荒町支店と取引をしたことがあるのであるから、右のように前記(3) (4) (5) 小切手については控訴会社事務所において契約、交付がなされたとしてもそのことによつて控訴会社に過失があるというべきものではない。
(ハ) 仮に、前記預金の組替において小切手の交付と同時に預金関係が成立するとの見解が理由ないとすれば、当該預金関係はその小切手金が預金者の銀行(前記設例の乙銀行)に入金になることを停止条件として成立し、この時から預金者は預金の返還を請求することができると解すべきである。本件小切手は全部不渡にはならなかつたが前記(B)の(1) (2) (5) 小切手は結局被控訴銀行に入金にならなかつた。しかしながらそれは被控訴銀行において入金を妨げ故意に右停止条件の成就を妨げたのであるから、民法第一三〇条により、控訴会社はその条件を成就したものと看做すことができるのであり、本件訴状の送達をもつて控訴会社はその意思表示をしている。従つてこの時をもつて被控訴銀行に入金にならなかつた小切手金についても預金関係が成立し、控訴会社は以後預金の返還を請求することができるのである。
(二) 損害賠償請求
仮に、以上の預金返還請求が認められないとしても、被控訴銀行は小川雄一の使用者として同人がその職務の執行について控訴会社に与えた前記請求額と同額の損害を民法第七一五条によつて賠償すべきである。
「即ち、前記(A)(B)の事実のあつた当時小川雄一は被控訴銀行の荒町支店長であつたのであるが、同人は前記(イ)のとおり控訴会社から本件約束手形並びに小切手の交付をうけながら不法にこれを他に流用し、そのために控訴会社に対して本訴請求金額と同額の損害を蒙らしめたのであるから、その不法行為は小川雄一の職務の執行についてなされたものというべく、被控訴銀行は右の損害を賠償すべき義務がある。
二、(抗弁に対する答弁)
(一) 放棄又は免除の主張について
控訴会社が仙台地方裁判所昭和三〇年(ワ)第三五八号事件の訴を取下げたことは認めるけれども、その際本訴請求権を放棄又は免除したという事実は否認する。
控訴会社は昭和三〇年九月当時被控訴銀行に対して金四五万九、〇〇〇円以上の定期積金、金二三万七、六〇〇円の無尽掛金をしているほか金四〇万円を限度とする不動産根抵当権の設定をしていたのであるからこれを合計すれば全一〇九万六、六〇〇円となるのであり、従つてかかる確実な担保を有する控訴会社が被控訴銀行から金一〇〇万円内外の金を借用できることは当然であり、このように当然に融資を受けられる立場にある控訴会社が被控訴会社主張の金額の融資を受けるために金五〇万円に近い本訴請求権を敢て放棄したり免除するということはあり得ないことである。
(二) 消滅時効の主張について
その主張事実は争う。控訴会社は本件手形並びに小切手の交付により預金関係が成立しているものと考えていたのであるから、本件において右預金関係が成立しないことに確定するまでは時効は進行しないと解すべきである。
三、(再抗弁)
仮に、被控訴銀行主張のように本訴請求権を放棄若しくは免除の意思表示をしたとしても、それは金三〇〇万円の融資を受けることを停止条件としたものである。しかるに被控訴銀行は全然この約定の融資を履行していないのであるから右の意思表示はその効力を生じていない。
被控訴代理人が請求原因に対する答弁、抗弁、再抗弁に対する答弁として主張したところはつぎのとおりである。
一、(請求原因に対する答弁)
(一) 預金返還請求について
(イ) 控訴会社主張の(イ)の事実は否認する。小川雄一が被控訴銀行荒町支店の支店長であつたのは昭和二七年六月一日から昭和二九年九月一五日までである。(イ)の(イ)の(3) の小切手は被控訴銀行が訴外冨士製油株式会社から同社の加入している無尽の掛金として交付を受けたものであり、同(4) の小切手は訴外辻小一郎から同人の預金とするために被控訴銀行が交付をうけたものである。
(ロ)控訴会社(ロ)の主張事実中、小川雄一が本店に来て勤務することを命ぜられたが本店に出勤しなかつたこと、同人が逮捕拘留されたこと、同人が懲戒解雇されたこと、被控訴銀行では支店長自身も預金の勧誘に出向くことがあることは認めるけれども、被控訴銀行の荒町支店の支店長やその店員が控訴会社に預金の勧誘に赴いたかどうかは知らない、その余の事実は否認する。
(ハ) 控訴会社主張の(ハ)の事実は否認する。
(ニ) 損害賠償請求について
控訴人の主張事実を否認する。被控訴銀行荒町支店においては昭和二九年九月一四日伊藤源一郎が同支の支店長事務取扱として赴任しており小川雄一は同日以降同支店に出勤していないのであつて、本件手形小切手は被控訴銀行において割引いたり預金に組入れるために右支店長たる小川雄一に交付されたものではなく、若し同人において交付を受けているとすればそれは個人たる小川雄一の用途に充てしめるため同人個人に交付されたものであるからその責任を被控訴銀行が負担すべき理由はない。
二、(抗弁)
(一) 債権の放棄又は債務の免除
仮に、控訴会社の請求原因事実が認められるとしても、同会社はつぎのとおり本訴請求権を放棄若しくはその債務を免除している。
控訴会社は昭和三〇年八月五日付で本訴とその内容を全く同じくする訴訟(仙台地方裁判所昭和三〇年(ワ)第三五八号)を提起しその訴状副本が同年九月七日被控訴銀行に送達された。その後同月一五日頃になつて控訴会社は被控訴銀行に対し手形割引の方法により三口合計金一〇五万七、五〇〇円の貸付を申込んで来たが右のような訴を提起している控訴会社の右申込には応じないことにしてこれを拒否した。ところが、控訴会社は被控訴銀行に対し右訴を取下げ再び同趣旨の請求はしないと誓約したのである。そこで被控訴銀行は同月二〇日改めて手形割引の方法による前記合計金一〇五万七、五〇〇円の借入申込をなさしめ、同月二二日その貸付をし、控訴会社は同年一〇月二五日前記訴を取下げ、爾後被控訴銀行は控訴会社に対して貸付を継続して来たのである。従つて控訴会社は右誓約をした昭和三〇年九月二〇日か少くとも右訴を取下げた同年一〇月二五日に被控訴銀行に対する本訴請求権を放棄するかその債務を免除しているのであるから、本件請求はこの点において排斥さるべきものである。
(二) 消滅時効の援用
仮に、控訴会社主張の損害賠償責任が認められるとしても、その請求権はつぎのとおり時効によつて消滅している。
控訴会社が本訴において民法第七一五条の不法行為による損害賠償の請求をしたのは昭和三七年一二月一〇日付準備書面を陳述した昭和三八年六月一二日の口頭弁論期日であるが、
(イ) 前記のとおり控訴会社は昭和三〇年八月五日付の訴状をもつて本件と同一内容の訴(仙台地方裁判所昭和三〇年(ワ)第三五八号)を提起しているのであるから、同日にはその損害額及び加害者を知つていたものというべきであり、その翌日から三年を経過した昭和三三年八月六日の経過と同時に右損害賠償請求権は時効により消滅したものである。
(ロ) 仮に然らずとしても、控訴会社代表者北山儀男は昭和二九年一〇月一〇日には小川雄一の不法行為によりその主張する金額の損害を蒙つたこと及びその加害者が同人であることを知つていたのであるから、その翌日から三年を経過した昭和三二年一〇月一〇日の経過と同時に右損害賠償請求権は時効によつて消滅したものである。
三、(再抗弁に対する答弁)
控訴会社の主張事実は否認する。被控訴銀行はその主張のような金三〇〇万円の融資の申込をうけたこともないし従つて前記債務の免除を受ける際そのような融資を条件としたこともない。
本件の証拠関係は、控訴代理人において甲第四号証の一、二、同第五号証を提出し、当審証人小川雄一の証言と控訴会社代表者本人尋問(第一、二回)の結果を援用し、乙第七号証の成立は不知、同第八号証の一、二の各成立は認める、同第九号証の一乃至三の各成立を認めていずれも利益に援用すると述べ、被控訴代理人において乙第七号証、同第八号証の一、二、同第九号証の一乃至三を提出し当審証人玉木邦夫、同伊藤源一郎の各証言を援用し、甲第四考証の一、二は成立を認めていずれも利益に援用する、同第五号証の成立を認めると述べたほか、原判決の事実摘示と同一であるからこれを引用する。
理由
一、当審証人小川雄一の証言、原審及び当審(第一回)における控訴会社代表者本人の供述、右本人の供述によつて成立を認める甲第一号証、同第二号証の一乃至三、成立に争いのない同号証の四、五の原審証人小山田定重の証言によつて成立を認める乙第三乃至第六号証によれば、
控訴会社は昭和二九年三月頃から被控訴銀行荒町支店と無尽契約、定期積金契約の取引関係(但し後者の定期積金契約は同年六月三〇日以降)があり、当時の右支店の支店長は小川雄一であつたこと、控訴会社代表者北山儀男は昭和二九年九月二〇日右支店に控訴会社主張の本件約束手形を持参し同支店にいた小川雄一に対し同人が同店の支店長であると信じてこの手形の割引を依頼し、その割引金は同支店の控訴会社の普通預金口座に入金してくれるように申込んでこれに裏書の上譲渡したこと、小川雄一はこの依頼を承諾して右手形の交付を受けた。そしてこの割引は同日から満期日までの利息を全一〇〇円につき日歩三銭五厘の利率で計算する約定であつたこと、更に、控訴会社代表者北山儀男は小川雄一に対し右と同様に同人が右支店の文店長であると信じいずれも同支店の控訴会社普通預金口座に入金する約定で、(1) 同年九月一六日控訴会社主張の本件(1) の小切手を、(2) 同月二〇日同(2) の小切手を、(3) 同月二七日同(3) の小切手を、(4) 同日同(4) の小切手を、(5) 同年一〇月一日同(5) の小切手を夫々振出し交付したのであるが、右(1) (2) の小切手は右荒町支店の店内で、右(3) (4) (5) の小切手は小川雄一が控訴会計の事務所に来た際に同所において夫々約定の上同人に交付されていること、
を認めることができる。この認定に反する乙第七号証及び証人伊藤源一郎の原審及び当審における証言は前提証拠に照して措信しない。
ところで、被控訴銀行は右小川雄一が右荒町支店長であつたのは昭和二七年六月一日から昭和二九年九月一五日までであるとして右手形、小切手交付の当時同人が右支店の支店長であつたことを否定するので按ずるに、小川雄一が被控訴銀行主張のように昭和二九年九月一五日に右支店長の地位を失つたとの事実を認めるに足る明確な証拠はないけれども、成立に争いのない甲第二号証の四、五(控訴会社主張の本件(3) (4) の小切手)にはその裏面に被控訴銀行荒町支店がこれ等の小切手を昭和二九年九月二七日に受入れたことを示す同支店の収入済スタンプと支払人である株式会社七十七銀行東一番丁支店がこれ等の小切手を同月二八日に呈示を受けたことを示す同支店の領収スタンプが押捺されているほか被控訴銀行荒町支店がこれ等の小切手を右七十七銀行の東一番丁支店に呈示するにつき所持人として記名押印したものと認められる被控訴銀行荒町支店のゴム印が押されていてそれには支店長として菅原敏夫という氏名が記載されているのであるからこの事実によれば右二七日当時においては同支店の支店長は菅原敏夫であつたものと認めることができるのであり従つて少くとも同日以降は小川雄一は右支店の支店長の地位になかつたものと認めるのが相当である。以上の認定に反する原審証人吉川浩、同玉木邦夫、当審証人小川雄一の証言は右の証拠に照して措信しない。
もつとも、証人伊藤源一郎は原審において「小川雄一は昭和二九年九月か一〇月頃被控訴銀行を止めました。」と証言した上当審において「私は昭和二九年九月一四日から同月三〇日頃まで被控訴銀行荒町支店長事務取扱を命ぜられ発令と同時に右一四日に右支店に赴任しました。小川雄一は同一四日に右支店長の地位を免ぜられました。私が事務取扱をした後は菅原俊夫が右支店の支店長になりました。」と述べて小川雄一が昭和二九年九月一四日に荒町支店の支店長を免ぜられたように証言しているけれども、この点に関する同証人の証言は速記録に見られるようにあやふやであるし、同じ被控訴銀行の幹部職員である証人玉木邦夫の原審における「小川雄一は昭和二九年一〇月中旬に支店長を止めさせられすぐ本店詰になりました。」という証言とも齟齬するし、若しその証言が真実であるとすれば前記甲第二号証の四、五の裏面には当然支店長事務取扱として同証人の氏名が記載されているべき筈であるのにそのような記載にはなつていないので菅原敏夫の氏名が支店長として記載されているのであるからこれ等の点に照して容易に措信し難いところである。
そして、他に昭和二九年九月二六日以前において小川雄一が右支店長の地位を免ぜられたとの事実を認めるべき証拠はないのであるから、同人は少くとも同日までは同支店の支店長の地位に在つたものとすべきものである。
そうすれば、本件手形、小切手のうち、同年九月二六日以前に交付された約束手形と控訴会社主張の(1) (2) の小切手は被控訴銀行荒町支店長たる小川雄一に交付されているけれどもその余の(3) (4) (5) の小切手は同人が右支店長の地位を喪つてから後に同人に交付されたものというべきである。
ところで、控訴会社は、民法第一一二条により、被控訴銀行が小川雄一の支店長更迭による代理権限の消滅をもつて控訴会社に対抗することはできないと主張するので按ずるに、原審証人玉木邦夫、当審証人小川雄一、原審及び当審における証人伊藤源一郎の各証言と原審及び当審(第一回)における控訴会社代表者本人の供述によれば、小川雄一は従来被控訴銀行の荒町支店長として被控訴銀行の営業に関する一切の代理権限を有しておりこれが前示認定のとおり昭和二九年九月二六日限り右支店長を免ぜられてその代理権限を消滅せしめられたのであるが、このように同人が被控訴銀行の代理権限を喪失したのは同銀行内において同人の職務上の不正行為が発覚したためで、同銀行としては事の性質上小川雄一の不正行為が世間に知られることを好まず従つて前示認定のよりに右荒町支店長が小川雄一から菅原敏夫に更迭したことも一般に公表せず控訴会社を含めた取引関係者に通知することもなかつたため、控訴会社としては皆目右更迭の事実を知ることなく、前示認定のとおり本件(3) (4) (5) の小切手を小川雄一が依然として右支店の支店長であると信じて同人に交付していることが認められるのであるから、被控訴銀行としては小川雄一の右代理権の消滅をもつて控訴会社に対抗することはできない筋合である。
そして右(3) (4) (5) の小切手はいずれも控訴会社の事務所において小川雄一に交付されていることさきに認定のとおりであるが、当審における控訴会社代表者本人の供述によれば、小川雄一はそれまで支店長の地位にあつた時でも同人自ら控訴会社に赴いて預金の勧誘をしたりしてその業務を行つていたことが認められる上に、右(3) (4) (5) の小切手の交付の時は小川雄一が右支店長を免ぜられた翌日乃至は五日目の短期間内のことであるから、右支店長の更迭を全然知らされていない控訴会社としては今迄の取引通り小川雄一が依然として右支店の支店長であると信じていたことは尤もであり、この点に過失のかどは認められない。
そうすれば本件(3) (4) (5) の小切手は小川雄一が被控訴銀行荒町支店長の地位を喪つて後に同人に交付されたものではあるけれども、控訴会社に対する関係ではなお右支店長としての代理権限を有する同人に交付されたものというべきである。
従つて、本件約束手形並びに小切手は法律的には全部右支店長としての代理権限を有する小川雄一に前記認定のとおり交付されていることになる。
以上の次第であるから、本訴請求原因のうち、(A)約束手形割引金相当額の預金返還を求める分については手形割引契約(本件においては通常の手形売買と認められる。)と預金契約の結合した契約であり、被控訴銀行としては手形の授受と引換に約定の割引金額を控訴会社に支払うべきものでこの金額につき普通預金口座に入金する旨の約定がなされているのであるから、昭和二九年九月二〇日の手形授受の時にその割引金額金一六万九、二一五円(割引の日から満期まで金一〇〇円につき日歩三銭五厘の利率による利息を差引いた金額)について普通預金関係が成立し、その時から控訴会社は右預金の返還を請求することができると認められるのであるが、(B)小切手入金による預金返還請求の分については控訴会社主張のように小切手の授受によつて直ちに当該小切手金相当額の預金返還を求めることができるかどうか更に検討を加えなければならない。
この点について、控訴会社は、「本件小切手の交付に際しては各小切手金額の全額を普通預金に組入れ、被控訴銀行において小切手金の支払を受けることができなかつた場合にはその金額を預金残高から差引く約定であつた。」と述べて小切手の授受と同時にその小切手金額について預金関係が成立し控訴会社は直ちに預金の返還を請求できる旨の約定(特約)があつた旨主張するのであるが、本件に顕れた全証拠を検討してもそのような特約がなされたものと認めるに足る証拠はない。
つぎに、控訴会社は、「いわゆる預金の組替をするために小切手が銀行に振出交付された場合には交付の時に直ちに預金関係が成立すると解すべきである」と主張するので按ずるに、小切手は所謂支払証券であるとは言つても常に必ず支払われるとは限らないのであるからこれを社会通念に照して見ると現金と全く同一視することが出来るとまで言い切るのは言い過ぎであり、その上、預金の目的物となつて銀行が保管、利用若しくは消費の上同種同量のものを預金者に返還することを約するのは金銭そのものであつて小切手証券ではないのであるから、これらの点を考慮して当事者の合理的意思を解釈すれば、本件のように預金口座に組入れるとの約定で他店渡の小切手が交付された場合には、特段の事由のない限り、小切手の交付と同時に当該小切手を預金の目的物たる金銭に換えるための取立の委任と若しこの取立による金銭の引渡(入金)があつた場合にはこの入金額をもつて預金関係を成立させる旨の条件付預金契約が成立し、預金者はこの条件が成就して預金関係が確定的に成立した時から預金の返還を請求することができるものと解するのが相当であつて、これと異る控訴会社の前記主張は採用することができない。
更に、控訴会社は、「預金関係は小切手金が銀行に入金になることを停止条件として成立しこの時から預金者は預金の返還を請求することができると解すべきものであり、本件小切手の内(1) (2) (5) の分は被控訴銀行において入金にならなかつたけれどもその他の分は入金になつている。そして右(1) (2) (5) の分は民法一三〇条により入金という条件が成就したものと看做すことができる。」と主張するので按ずるに、預金関係の成立並びに預金返還請求権の発生をその主張のように解すべきことは前記判示のとおりである。そして成立に争いのない甲第二号証の四、五によれば、本件(3) (4) の小切手はいかにも被控訴銀行によつて取立入金になつていることが認められるけれども、原審証人伊藤源一郎、当審証人小川雄一の各証言によれば、これはさきに認定のとおり控訴会社代表者からこれら小切手の交付をうけた小川雄一がその約定に従つて控訴会社のために取立の手続をとることなく不法にも同人個人のために他に流用譲渡したためその結果これ等小切手の所持人となつた第三者が自らのために被控訴銀行荒町支店に預入れ又は支払に供したためであることが認められるのであるから、これをもつて控訴会社のためになさるべき本件の取立入金があつたとは言えないのであり他にこれを認めるに足る証拠はない。
従つて、本件小切手の五通は全部取立入金に至らず、この点において前記条件は成就していないことになるのであるが、既に成立について判断を加えた甲第二号証の一乃至五、原審並びに当審(第一回)における控訴会社代表者本人の供述、当審証人小川雄一の証言によれば、このように取立入金にならなかつたのは被控訴銀行荒町支店長である小川雄一乃至は同支店長を免ぜられて同銀行本店詰を命ぜられていたけれどもなお控訴会社に対する関係では法律上同支店長としての代理権限を有するものとせらるべき同人(その理由は既述のとおりである。)が同支店長としてこれ等小切手の交付を受けてその保管に当りながら自らの意思で不法にも自己個人のために他に流用譲渡してしまつたためで、同人はこれによつて控訴会社のための取立入金が妨げられることを知つており、これ等の小切手は控訴会社が株式会社七十七銀行東一番丁支店に現に有していた預金を右荒町支店の控訴会社普通預金口座に振替えるために振出交付されたもので、若し小川雄一の右不正行為さえなければ当初の契約通り間違いなく控訴会社のための取立入金が完了していたものと認められるのであるから、これは被控訴銀行の支配内に移されてからその保管に当る者の故意に因るもので、同銀行が故意に取立入金を妨げた場合と同様に被控訴銀行内部における背信的な責任に起因するといわなければならない。
そうだとすれば、右流用譲渡そのものは小川雄一の不法行為であり、不法行為には代理の適用がないとしても、民法第一三〇条が背信的な当事者の責任を加重することを狙つて条件成就の妨害をされた者に対し条件が成就したものと看做すことができる権限を与えている法意に照して鑑るときは、右のように被控訴銀行内部の背信的な責任によつて条件の成就が妨害された場合にも右法条を類推適用して控訴会社は右条件が成就したもの、即ち本件小切手の取立入金があつたものと看做すことができると解するのが相当である。
而して、控訴会社は本件訴状において被控訴銀行に対し本件小切手による組替預金の返還を求めていること記録上明らかであるから、この訴状副本の送達はこれによつて同時に右条件が成就したものと看做す旨の意思表示がなされたものと認めることができる。(蓋し、預金関係の成立及び預金返還請求権の発生がないままで預金の返還を請求するということはある筈がないからである。)
そうすれば、控訴会社と被控訴銀行の間では本件訴状副本送達の時である昭和三四年三月七日をもつて本件小切手金相当額の普通預金関係が成立し、控訴会社はこの時から右預金の返還を請求することができるものというべきである。
二、そこで進んで、被控訴銀行の放棄又は免除の抗弁について按ずるに、原審証人小山田定重の証言によつて成立を認める乙第一乃至第六号証、成立に争いのない同第八号証の一、二、同第九号証の一乃至三、甲第四号証の一、二、原審並びに当審証人玉木邦夫、原審証人長沼正、同小山田定重の各証言、原審及び当審(第二回)における控訴会社代表者本人の供述を綜合すれば、
控訴会社は昭和三〇年八月五日頃本件訴状において請求の訴訟と同一内容の訴訟を提起し(仙台地方裁判所昭和三〇年(ワ)第三五八号)、同年九月七日頃その訴状副本が相手方たる被控訴銀行に送達されたこと、他方、控訴会社は同年八月二四日被控訴銀行に当時の借入金残高四一万円を返済して残額が〇となつたので右返済と同時に新たに全一〇五万七、五〇〇円の借入を申し込んでいたこと、その当時控訴会社は被控訴銀行に対し同年九月二一日現在で金二一万一、二〇〇円の無尽掛金(契約高一〇〇万円)、金田三万二〇〇円の定期積金をしていた(なお、その外に控訴会社代表者北山儀男個人所有の不動産二筆に極度額四〇万円の根抵当権が設定されていた。)ので、被控訴銀行は同月七日金三五万円(支払期日同年一〇月五日)、同月一〇日金二九万円(支払期日同月三〇日)合計六四万円を控訴会社に貸付けたこと、その後同月一五日頃控訴会社は被控訴銀行に対して再び金一〇五万七、五〇〇円の借入れを申し出て来たので、この頃から右両者の間で前記訴訟の取下について話し合いが行われるようになり、同月二〇日になつて被控訴銀行から若しこの訴訟を取下げるならば右申入れの金額のほかに別枠として金三〇〇万円程度の融資に応じてもよいという申出があつたので控訴会社としてはそのような融資が得られるならばこの訴訟を取下げて後日この件に関する同旨の請求はしないことにすると述べて合意が成立し、この約定に従つて同年一〇月二五日頃右訴訟を取下げたこと(この訴訟が取下げられたことは争いがない。)、控訴会社はこのような話し合いが出来たので同年九月二二日被控訴銀行からさきに申出の金一〇五万七、五〇〇円の貸付を受け(そのうち六四万円は前記九月七日、同一〇日の二口合計六四万円の返済に充当)、以後この一〇五万七、五〇〇円程度の枠で貸付けを受けていたこと、
が認められるのであるから、以上の事実によれば控訴会社は昭和三〇年九月二〇日の被控訴銀行との話し合いにおいて同銀行に対し本件請求権のすべてを放棄したのであるがこの放棄は別枠三〇万円の融資がなされることを条件にしていたものと認めるべきである。
前掲証拠の中、原審証人長沼正、原審及び当審証人玉木邦夫は前記放棄が金三〇〇万円の融資を条件とされた点において右認定と異る証言をしているけれども、前記認定のとおり控訴会社は当時被控訴銀行に対して合計六四万三、二〇〇円の無尽掛金、定期積金をしていたほかに北山儀男所有の不動産二筆には極度額四〇万円の根抵当権が設定されていたこと及び昭和三〇年九月当時の金五〇万円に近い本件請求金額になお相当多額の金額であることを考え合わせると、このような状況の下で単に一〇五万円余の貸付をうけるそのことだけのために(当然それは利息を附して返済しなければならないものである。)金五〇万円に近い本訴請求権を放棄してしまうということは社会通念上容易にあることとは考えられないのであるからこの点に関する右証人等の証言は遽かに措信することができない。他に前記の認定を左右するに足る証拠はない。
そして、原審及び当審(第二回)における控訴会社代表者本人の供述によれば、被控訴銀行はその後前記約定の別枠三〇〇万円の融資を履行していないこと明らかであるから前記請求権の放棄は未だ条件が成就せずその効力を生じていないものというべきである。
三、以上の次第であるから、控訴会社の本訴請求は本件約束手形の割引金額及び本件小切手金額の合計額である金四九万六、二一五円の預金金額とこれに対する本件訴状副本が被控訴銀行に送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和三四年三月八日以降その支払済に至るまで商事法定利率六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においては正当として認容できるけれどもその余は失当として棄却すべきものである。
然るに、これと異なり控訴会社の本訴請求を全部棄却した原判決は不当であるからその部分の取消を免れない。
よつて、民事訴訟法第三八六条、第三八四条、第九六条、第九二条但書、第八九条によつて主文のとおり判決した。
(裁判長裁判官 田中宗雄 裁判官 松本晃平 裁判官 藤井俊彦)